これほどの完璧なアニメ化が実現されたことに、我々はただ感嘆するしかない。
「やがて君になる」は乱発されるアニメのなかで、ひときわ光る存在であった。

欠点が無いわけではない、だが許される環境の中でスタッフも原作者も最善を尽くした。
原作が完結していたなら、そして2クール(分割でも構わない)であったなら、更に評価される作品に昇華されていたかもしれない。

だが彼らには13話のみを作る道しか許されていなかった。
故に彼らは「完全再現」を目指し、原作ファンが落胆することがない完璧な作品を作り上げたのだ。
原作者が「アニメすごかった、感謝しかない」と述べているが、これは同様に原作ファンの言葉でもあろう。

そしてこの作品の存在すら知らなかった「我々」に、彼らは新しい扉を開いてくれたのだ。
まさに感謝しかないのである。

さて、以下は原作のネタバレになるため、知りたくない方は読まないほうが良いぞよ。

まず、この物語には「悪意」を持った人物が登場しない。
作家にとって、これはストーリーを構築するのが非常に困難になる茨の道である。
なぜなら「悪意」を持った人物が一人いるだけで簡単に話を構築できるようになるので、その方向性を塞ぐのは自縄自縛にも等しいからだ。
この構成力には「凄い」の一言しか出てこないのだ。

台詞回しも最低限に切り詰めて、まるで北野武監督の映画のようである。
そういえば今気がついたが、台詞とモノローグだけで構築されている物語だこれ、当然情景解説の言葉など一切無い。
だから語られていない部分については、視聴者に全て委ねられている。
構成力に自信がなければ選べぬ道であり、本作は、まさに構成力が光る作品である。
たつき監督の作品が如く、完璧なのだ。

登場人物についても少々触れておく。

主人公の小糸侑には彼女の分身とも言える人物がいる、そう槙聖司のことだ。
よく脳内会議で悪魔と天使が話し合うという作品があるが、侑にとって槙はそういった存在である。
メタ的に言えば、槙聖司は侑の背中を押すためだけに配置されたキャラクターなのだ。
普段は侑の話を聞いているだけだが、ここぞという場面では「それでいいのか?」と問う。
そして侑に歩き出せと促すのだ、ただその微笑みだけで。

佐伯沙弥香についてだが、俺はこの女性があまり好きではなかった。
自分の弱さ故に、その一歩を踏み込めない人物だからだ。
だが踏み込めないことを誰のせいにもせず、自分の弱さが招いたことだと他人を責めなかった。
そんな彼女の気高さを、誰が責められよう。
ただ一人だけをずっと想い続け、これからも想い続けるだろう。
尊い存在である。

七海燈子、アンバランスなヒロイン。
小糸侑、アンバランスな主人公。

この二人については、ぜひ本作を手に取って知ってほしい。
二人はきっとあなたに「何かを」投げかけることだろう。

最後に39話について少々(俺はまだ40話以降を読んでいません)。
サブタイトルの「光の中にいる」に違和感があるなー、二人ともまだ光の中にいないからなー。
俺なら39話を「光の中へ」にして40話を「光の中にいる」にする、安直かもしれんがw。
まあメインヒロインルートが確定しているわけで、そんなに不安はない。
のんびり11月の8巻発売を待つわー。

誰かが言っていたが、「やがて君になる」は普遍的な物語であり、ヒロインか主人公の性別を仮に変更したとしても成立する物語であると。まさにその通りである。

この作品に巡り会えたことに感謝。

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